あとから来る者のために 築88年古民家・海鼠壁再生

【 第5回 古民家再築部門 】

あとから来る者のために 築88年古民家・海鼠壁再生

主家
大阪府平野区にあります商家を立てた当時によみがえらしてもらえるならばという先代の思い
をかなえるべく、施主が伝統建築を後世に残したいという思いが完全修復へと取り掛かりました。
屋根は雨漏りがひどく、周りの壁や庭の痛みが激しく修復には相当の時間を要することが推察
できました。
屋根は土盛りの本拭き瓦を当時と同じように葺き替え、周りの板壁は杉の樹皮を使って張替え。
玄関長屋門に使用されている板壁は舟板を使い、できるだけ当時の様式を壊さないように修復
しました。
主家の構成は6畳間、8畳間、10畳間が客室として利用できる構成。大正、昭和初期時代の
おもてなしの気持ちが見て取れます。
構成を変えずに、客間として使い、床の間に茶室を設け、どなたにも利用できるようにとの施主の思いです。

土蔵 蔵
今ではほとんど見られなくなった
海鼠壁の修復。
大壁袴部の修復は当初板塀にする
ことも考えましたが、母家、長屋
門に続く塀の壁、さらに蔵の大壁
の修復すべてにできるだけ当時の
形を再現したいという思いから、
施主さん、左官さんと相談の結果
、後世に残していくために、本物
にこだわり、伝統技法を伝承する
という強い思いから匠の技を使い
、完成させました。かまぼこ形状
の盛り上がりと幾何模様が見事に
再現されました。
屋根の庇を漆喰で塗り固めた水切
り部の直線も計算された遠近法に
より施工しました。
下から見ると同じ間隔に見えま
す。職人の技といえます。
藏につながる母屋周辺の壁につい
ても当時の形をできるだけ残すと
いうことから、長屋門に続く土壁
を鎧壁とし、壁は桂離宮に採用さ
れている漆喰パラリ壁で美しく仕
上げました。
パラリ仕上げとは漆喰仕上げの一
つの手法で、漆喰の中に石灰の
固まりの粒を混入させて塗りつ
けると、乾燥後にその粒が壁の
表面に「パラリ、パラリ」と浮
き上がってくる仕上げです。
板壁は焼杉を奈良から取り寄せ、
本物にこだわりました。
今では少なくなった左官士。親子
で匠の技を継承し、その技法にこ
だわり、その日の天候にも気を配
りながら工事進めます。
長屋門から外壁そして庭を囲む
ように外壁があります。武家の
屋敷を思わさせるような外壁は
ぼろぼろ。今にもくずれそうな
土壁。完全修復が今回のテーマ。
壁の瓦屋根、壁の修復を昔の手
法そのままに再現するため、鎧壁
に今では職人技とされるパラリ
壁で再現することにしました。
パラリ壁は京都御所や、桂離宮
に使われていて、仕上がりが大変
美しいものです。
先代が取り壊すのは惜しまれるというので、修復して使われるようにするのであればということで譲っていただいたもの。
先代の奥様が高齢になり、だいどこ(台所)を今風に修復してお住まいされていた。自前で修復がかなわずお茶、お花、
研修などこれから育つ人のため
に役立つならと願いをこめて譲
っていただきました。台所はそ
のままに主家は当時のままに再
現することが伝統工法建築様式
を残すことになり、後からくる
子供たちのためになると修復に
取り組みました。
先代が接客の間として玄関上り框
を上がるとすぐの間に床の間を設
けてありました。お客様がくつろ
げるようにと床柱はなく、代わり
に赤松を使い上面に細工がしてあ
ります。おもてなしの心がとても
伝わってくる空間です。壁を聚楽
壁で修復し、畳、痛みが激しかっ
た柱を洗い、煤竹(すすたけ)を
落とし掛けに使用しているものを
そのまま修復しました。
痛みが激しかった聚楽壁はひびが
はいり痛みが激しく元のままにす
べて修復しました。左官さんが最
も気持ちを込めて塗りあげたと語
ってくれた緩やかなカーブを描い
た境界壁は職人の技ではのものと
言えます。先代が接客の間として
最もよく使われたであろう場所と
して思いを繋いで再現いたしまし
た。
これから多くの方に来ていただき、
くつろげる部屋として使用できた
らという思いで修復いたしました。
お客様用奥座敷と接客の間を当時
のままに修復しました。



建設地大阪府八尾市竹淵西4丁目245-3
構造伝統構法
階数二階建て
延床面積1006㎡
家族構成非公開